朽ちないメディアはなにが違うのか。

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朽ちないメディアはなにが違うのか。

仲間とWebメディアを作っています。

せっせと作業を続けていますが、「ふっ」としたときに、自分がなにをしているのかわからなくなります。

そもそも「メディア」ってなんなのさ?って。

そんな時に田端信太郎さんが書いた『MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体』が自分の抱えているモヤモヤを整理してくれました。

 

メディアとは、そこに情報の送り手と受け手の二者が存在し、その間を仲介し、両者間において、コミュニケーションを成立させることを目的とするものである」という定義が当てはまると思っています。

ここで強調しすぎることのないくらい大事なことは、「メディアは必ず、受け手を必要とする」ということと、コミュニケーションにおいては「受け手こそが王様」であるということです。

 

今までブログでは、事実や自分の悩みを書くだけで、「読み手」について考えたことはあまりありませんでした。

 

自分がただ書きたくて書いているのだから何も問題はないんだろうけど、伝えたいことが明確にある場合には「読み手」の顔を思い浮かて書くことが必須ですね。

 

 

今や情報を発信することそれ自体には、全く価値がありません。読み手に届くメディアを作り、運営を継続できるかどうかこそが生命線なのです。

 

今は、誰もが情報を発信できる時代になりました。

だからこそ情報を発信することで自分たちが満足して終わりではなく、継続的に「読み手」を満足させるものを作りたいと思ってます。

そのためには、「読み手」を具体的に思い浮かべ、なにを欲して、どうなりたいのかを考えないといけません。

 

これを考えだすとゆっくり、ゆっくりと深みにはまっていきます・・・

が、この問いに正面から向き合う頻度が大切だと感じています。

 

今までブログでは、好き勝手自由に書いてきたので、Webメディアでは、書くことの一歩先を考えて、読み手を丁寧に考えることをしてみようと思ってます。

今は、まず目の前のやるべきこと、できることを続けることが大切。

しかし、同時にそれだけでいいの?という思いも頭から離れないのです・・・。

 

メディア運営もビジネスですから、得られる売り上げが費用を長期的に上回り続けなければ、必ず継続不能になってしまいます。当たり前ですが、あらゆるビジネスはより安い費用で、より高く売れるアウトプット(成果物)を出すことが求めらます。

 

たくさんのメディアが乱立しているなかで、どのようにしてメディアを継続していくか。

それが趣味であってもビジネスであってもです。

その一歩として必要性を感じているのは何をアウトプットしたいのかを明確にすること。

 

メディア業の提供物は、手に取って触れたり、匂いを嗅いだりはできないわけなので、読者から見た「メディアの品質」とはつまり「その作り手を信頼できるかどうか、リスペクトできるかどうか?」という問題とイコールになります。

 

作品を作る上で自分たちが納得するものを作るのは当然ですが、

「自分たちが納得するものを」というキーワードに甘んじて納得感を自分の範疇で収めてしまうことは、結果的に読み手に届けなくてもいい理由になってしまう気がしてなりません。

 

多くのメディアが日々生まれ、そして朽ちていっています。

しかし、一方で朽ちにくいメディアもあります。

時代の流れ。読み手の気持ち。先行している事例。

目の前にあることをやりながら、どこかにある糸口を探し、行動に移し続けることしか解決策はないのでしょう。

 

底なし沼に足を踏み入れてしまったことへの「苦い気持ち」と、それを吹き飛ばしてしまうほどの「楽しみ」を同時に感じています。

 

じゃ。

 

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keiki
Keiki Ishikawa,1987年生まれ。東京生まれ東京育ちの東京っ子。テンションの振れ幅が広いが、基本的にローテンションなことが多く、一週間ほど家にこもっても苦にならない精神力を持っている。大学卒業後、地方銀行に勤務。妻と出会い退職・世界一周を決意。500日間の世界一周を経て現在に至る。