瞑想初心者がヴィッパサナー瞑想に参加して思ったこと【千葉】

2016年の夏に10日間のヴィッパサナー瞑想に参加しました。
参加した10日間で計100時間瞑想しました。
お陰さまで耳たぶ伸びました。
目次
ヴィッパサナー瞑想とは
ヴィパッサナー(巴: vi-passanā)とは「分けて観る」、「物事をあるがままに見る」という意味である。一般に仏教においては、集中力を育てるサマタ瞑想と、物事をあるがままに観察するヴィパッサナー瞑想とが双修され、この点は南伝仏教でも北伝仏教でも変わらない。
瞑想とは
瞑想(めいそう、英:Meditation)とは、心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させること、心を静めて無心になること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことである。この呼称は、単に心身の静寂を取り戻すために行うような比較的日常的なものから、絶対者(神)をありありと体感したり、究極の智慧を得るようなものまで、広い範囲に用いられる。
つまり…ヴィッパサナー瞑想とは
『物事をあるがままに見ながら、心を静めて無心になること』
僕が参加したコースは「10日間会話せずひたすら瞑想する」するもの。
知らない人に説明すると「うわー怪しー」と思われ、聞いたことある人に説明すると「うわー怪しー」と思われるので少し心配です。
ヴィパッサナー瞑想期間中、食事、部屋、トイレ、シャワー、洗濯機等の生活に必要なものはすべて提供されます。
海外で一泊1000円以下のドミトリーに泊まったことがある人なら天国に感じる質の生活ができます。
ヴィパッサナー瞑想の料金
値段は決まっておらず、ドネーション制です。
つまり払う必要ないと思えばお金を払わず瞑想できます。
瞑想終了後にドネーションを受け付ける時間があるので、それぞれが自由に支払います。
僕が参加した際には、支払いをしていない人もいたと思います。
どの程度が妥当なのでしょうか?僕は1万円支払いました。
ヴィパッサナー瞑想。一日のスケジュール
4:00 起床
4:30-6:30 瞑想
6:30-8:00 朝食・休憩
8:00-9:00 グループ瞑想
9:00-11:00 瞑想
11:00-13:00 昼食・休憩
13:00-14:30 瞑想
14:30-15:30 グループ瞑想
15:30-17:00 瞑想
17:00-18:00 お茶と休憩
18:00-19:00 グループ瞑想
19:00-20:15 偉い人の講話(音声)
20:15-21:00 グループ瞑想
21:30 就寝
いかかででしょうか?これを10日間繰り返します。
思い返してもクレイジーなスケジュール。
10日間のヴィッパサナー瞑想を経て起きた変化
自分の中で起きていることを表現すると、
苦しみ、喜び、怒り、に対して反応・反発しなくなった。
怒らなくなった
主観がかなり入っているので奥さんに聞いてみましょう。時間が経過するにつれてもとに戻ってる気もします。
酒を飲まなくなった!
会社員時代も旅行中もほぼ毎日飲んでいたお酒を飲まなくなりました。今考えると毎日お酒を飲んでいた理由ってなんだったんだろう?と思います。
僕がお酒を飲む理由は、「お酒を飲んでいる間は考えなくていい」からでした。
毎日飲む必要がないと考えるようになったのです。みんなで飲むお酒は楽しいから今でも好きです。
食事の量が減った
瞑想参加中は食事の量が少なく(ブッフェスタイルですが量に限りもあるし、他の人もいるので多くは取れません)、肉はないですし、味付けはとても薄いです。
ですが、瞑想期間中は体の調子は好調でした。普段の生活で食べてた肉の栄養素はどこに使われているのか疑問になります。
以前は無意識に「おなかいっぱいになりたい!!」という意識があったのですが、「お腹いっぱい」に対する執着が少なくなりました。
人間って満腹にならなくても元気なんですよね。慣れ親しんだ食生活って恐ろしいです。
瞑想中におきたこと・感じたこと
ヤバいのにきちゃった感
一日目の瞑想は「やばいのにきてしまった」
40人の大人が一言もしゃべらず座っているこの光景の異常さ。そして尻を襲う痛み。ゴエンカ氏(師範)の説法。
初日はすべての光景に「これはマズイ…非常に怪しい。抜け出せなくなる!」と焦ったのを今でも鮮明に覚えています。
すぐ慣れましたけど。
痛みがすごい
しんどかったのは、おしりと背中の痛み。
一時間同じ姿勢で座り続けたことありますか?30分で足、尻、背中いろんな場所が痛みます。
瞑想中に一番「もぞもぞ」してたのは僕だと思います。
痛みも瞑想後半からだんだん気にならなくなりました。
慣れと、「痛み」のとらえかたが変わったからだと思います。
眠れない
瞑想期間中に眠れない日が3日間続きました。。
毎晩21時半就寝、翌朝4時半に起床するのですが、2〜4日目は4時まで寝れませんでした。
これ以上寝れなかったらやばいなぁと思っていた5日目の夜はよく寝れました。
※夜寝れなくなる参加者は多いようで、感覚が敏感になりすぎているから…との説明を受けました。頭より体のほうがよっぽど正直です。
瞑想中に雑念だらけ
なんも考えないとか無理!思考があっちこっちに飛び回ってました。
考えないようしても気づくとなにか考えています。
5日目ぐらいまで毎日早く帰りてーーー。って思ってました。
集中できていないと、時計をちらっと見たり、周りの人の様子を観察したり、仕事どうしよう…と考えたりとかね。
行動をコントロールするのは簡単ですが、自分の意識をコントロールすることの難しさに気づきました。
なにも考えないって難しいことなんです。
瞑想に集中できた!
7日目で初めて一時間集中が続きました。(集中できる時間が伸びるのを毎日感じます)
瞑想に集中できているとアッという間に時間が過ぎます。
瞑想中は気付かないけど、終了した時に気づきます。
痛み苦しみに反応・反発。そして執着している自分に気付く。
足のしびれ、尻・背中の痛みがあっても死ぬことはない。
しかし本当にしんどい。
痛みを「感覚」に頼って感じると「もうだめだーーー」ってなってしまう。
ですが、痛みを一歩引いた視点から客観視できると、実は大きな問題ではないことに気づきます。
僕らは外部からの様々な刺激や情報に対して反応・反発しています。
それと同じように、自分が「嫌だなー」って感じていることも客観視できると、考えても仕方ないことに気づきます。
瞑想中に次々に思い浮かんでくる「どうしようかなーーー」っていう悩み。
それらの悩みのほとんどが考えても仕方のないこと。未来のこと。変えられないこと。時間の経過しか解決策がないものだったりします。
次々浮かんでくるその悩みをひとつづつ整理していってあげると、すべてのことに真面目に反応・反発して苦しんでいる自分に気づきます。
考えても仕方ないことを考えて苦しんでいるんだなぁと。
講話と瞑想との気づきが合致
本を読んで「なるほどー」となることはありますが、実際の生活にいかせないことがよくあります。
講話と瞑想が組み合わさることで理解につながりました。
今まで瞑想の本を読んでも深い理解に至らなかった理由は実践がなかったから。
僕は一人でこの理解に至るのは無理だったと思います。
講話のなかでよく出てくる「すべてのものは変わりゆく」という言葉。
この言葉も自分の経験を通して徐々に実感していけます。
痛みも苦しみも悲しみも喜びでさえも。それらに執着すると苦しみを生み出してしまいます。
まとめ
10日間のヴィパッサナー瞑想を経て感じたことは、「瞑想という道のりのスタート地点」を知ることができたこと。
2000年以上の歴史を重ねているこの瞑想法。
向き不向きはあるにしろ、理由があるから残っています。
地獄のような時間だと感じる人もいるだろうし、人生が変わる経験ができる人もいるでしょう。
「人によって感じ方の振れ幅が大きい」ことが魅力なのだと思います。
ヴィパッサナー瞑想は、国でいうとインドみたいに「呼ばれる」もの。
悩んでいる人は時間をつくって参加してください!
なんらかの気づき(もしくはネタ)が得られること間違いなしです。
瞑想本を読むのと100時間瞑想するのでは全く別物。
「習うより慣れよ!」「考えるよりやってみろ!」だと思います。
良い瞑想をー。
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