妻へこみあげる思いを鎮めるために、僕は「判断」することをやめようと思う。

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妻へこみあげる思いを鎮めるために、僕は「判断」することをやめようと思う。

洗濯も終わった。

部屋の掃除もした。

朝食の準備もできた。

2週間ぶりに東京に帰ってきて思うのは、「なんのために帰ってきたのだろう?」という疑問。

時計の針が10時をまわり、2杯目のコーヒーを飲み終えたところで、僕は気付いた。

 

夫婦の役割分担については様々な形があると思いますが、私にこみ上げてきた思いを見つめてみると、「判断」することが原因だと感じたので記事にします。

 

思い通りに物事が進まない時に、「●●するべきだ!」とか「●●はダメだ!」と考えてしまうことありませんか?

僕は事あるごとに「判断」をしたくなります。

たとえば、「カレーを作る時は玉ねぎをアメ色になるまで炒めるべきだ!」「午前中に家事を終わらせるべきだ!」とか。

くだらないでしょ。

このテーマで妻と50回は喧嘩をしているので恥ずかしい限りですが、このように「良い」「悪い」を「判断する」ことが息苦しさの原因を作っていると思います。

妻が昼まで寝ていようとそれは妻の自由。僕がそのことの「良い」「悪い」を論じても何も生みません。

そもそも「良い」とか「悪い」は自分自身が作り出した「常識という妄想」の世界の話。

他人を判断したくなる背景には、「自分の常識(という妄想)」を他人に広げようとする「縄張り争い」みたいな意識があると思います。けれど、お互いにとって気持ちの良い夫婦関係を築くために必要のは、自分の常識を広げることではなく、現実にどのように向き合うか。

自分にとっては無意味なことも、他人にとっては意味があることかもしれませんし、状況や立場が変われば意見も変わります。

他人が「良い」「悪い」を判断しても何も生みません。

何も生まないものにエネルギーを使うなら、実現したいことに向けて行動をしたほうがよっぽど意義がありますよね。

白黒つけることが正義だと思っていた過去の自分は大きな間違いで、きっとサンデーモーニングの「喝!!」に影響されたせいだと思います。

 

「喝!!!!」

 

目の前で起きていることをニュートラルに見つめる。

「良い」「悪い」を判断することではなく、自分にはなにができるのかと向き合っていきたいものです。

今年も残りわずかですが「判断しない」をテーマに日々を過ごそうと思います。

「反応しすぎだなぁ…」というキーワードにドキッとする方は読んでみて下さい。肩の力がフッと抜ける、よいきっかけになると思います。

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keiki
Keiki Ishikawa,1987年生まれ。東京生まれ東京育ちの東京っ子。テンションの振れ幅が広いが、基本的にローテンションなことが多く、一週間ほど家にこもっても苦にならない精神力を持っている。大学卒業後、地方銀行に勤務。妻と出会い退職・世界一周を決意。500日間の世界一周を経て現在に至る。