ネパール地震、震源地付近の町にいて。

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ネパール地震、震源地付近の町にいて。

ブログを読んでくれている方へ

 

私たちは、無事ですのでご安心ください。

 

4/25に発生したネパール地震。

 

まさにこの日、私たちも被害のあった町に滞在し、4/26朝にはネパールにいる予定でした。

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本当に、あと少しのところで引き返すことができました。

 

運が良かったとしか言えません。

 

40キロ手前で地震のことを知りました。

 

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車での移動だったので、本当にあと数十分の差だったと思います。

 

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このチェックポイント(チベットではあらゆる町の入り口で中国の警察によるチェックが入ります)では、多くの車が止まり、警察からの情報を待っていました。道は塞がれています。

 

 

ガイド:君たちは、ラッキーだ。今日は、ネパールに行けない。

 

私たち:は?なんでラッキーなのさ。てかなんで行けないわけ?

 

初めは英語が聞き取れず、ただの交通事故かなにかかと思いました。

 

ガイド:この先でたくさんの家族が死んでいる。1,2ヶ月はこの道は閉鎖だ。

 

私たち:??????どゆこと?

 

ガイド:地震だ!!!

 

地震!!そうか。チベットの小さな村でちょっとした地震があったのか。確かにここは山に囲まれているし、しょっちゅう地震もあるのかな、地震で道が塞がれたのか。なるほど。確かに、巻き込まれなかったから、ラッキーなのかもしれない。でも、がっかり。諦めて飛行機で行こうかー。

 

と、そんな程度にしか思っていませんでした。

 

朝からひたすら移動し続けた私たち、さすがにお腹が空いたので、ここで休憩。

 

お店に入ると、ガタガタガタ・・・

 

余震です。地震大国日本人の私たちはとっさの判断で急いで建物から出ます。震度3か4くらいでしょうか。

 

これってひょっとしたら結構大きな地震なのか・・・不安が過ります。

 

テレビを見てみると、かなり被害が大きいことが判明。しかもこれから行こうとしていた町やネパールが大変なことになっている。

 

ようやくここで状況が把握できます。

 

とにかくここは震源地に近いので、少し離れたシガツェという町まで急いで移動することに。

 

さっきまで、エベレストBC(エベレストに登る方が泊まるキャンプ場)を横目にエベレストやヒマラヤ山脈の存在感に感動し、興奮していた私たち。

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まったく同じ道を今度は静かに引き返します。

 

車内は静まり返り、チベット人のガイドやドライバーの電話が安否確認のため鳴り続けます。

 

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ここまでの道の途中、たくさんの救急隊の車とすれ違いました。

 

本当に私たちは運が良かったなと、実感し始めます。

 

もちろん、ネパール抜けをする人は皆、引き返しているので、宿はどこもいっぱいですが、私たちは運良く良いホテルに泊まることができました。

 

 

そして、翌日にはチベットで一番大きな町、ラサまで来ることができました。ここでは、地震による被害はなく、食料不足も余震もまったくありません。

 

今は、ラサのカフェからこの記事をアップしています。

ラサで2泊した後、明日28日には飛行機で成都へ戻ります。

 

 

 

日本では、ネパールの映像が多く流れているかもしれませんが、ここではチベット側の映像がたくさん流れています。

 

チベット(シガツェ)とネパール側の町(ニャラム・ダム方面)を繋ぐ道は1本しかありません。

標高は富士山並の4000m前後の町のため、交通の便も悪く、舗装されていない道も多く、かなりの悪路です。そのため、道が塞がれているチベット側では、ライフラインが断たれ今も多くの人が支援を待っています。

 

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翌日のここら辺の天気は雪。標高の高い地域であるため、ライターさえ使えません。気温も氷点下です。簡易的な住居のため、多くの建物が崩壊し、屋外で今も過ごしている人がたくさんいるのが予想されます。

 

 

ただでさえ、中国政府によって自由を奪われているチベットの人々。かなり情報が閉鎖的な地域でもあります。一刻も早く支援の手が届くことを私たちはただ祈ることしかできません。

 

私たちは、自分の安全のために、逃げることしかできないけれど、声をあげたくてもあげられない人たちがたくさんいることを忘れてはいけないと思います。

 

 

こういう世界のニュースを肌で感じる度に私たちは、海外にいることを実感します。今まで海外のニュースを見ても、どこか遠い国のこと、と他人事しか思えなかった出来事が、少しだけ自分事として捉える事ができるようになった気がしています。世界との距離が少しずつ狭まっているような感覚です。

 

 

海外にいるとどうしても、日本との違いばかりが目に入ってしまいます。言葉が違えば、着ている服も、食べるものも、住んでいる家も、宗教も考え方もマナーもなにもかも違います。理解できないことだって、受け入れられない文化だって、まずいご飯だってたくさんあります。

 

 

でも、どの国においても共通することは「感情」だと私は思います。

 

 

笑い声も、泣き声もどの人種だって同じです。

怒る感情も、悲しむ感情も、喜ぶ感情も、嬉しい感情も誰だってみな同じです。

 

 

家族を一番大切に想う気持ちや愛する人や友人を心配する気持ち、一人の死によって多くの人が悲しむ気持ちは外人だって日本人だって、間違いなく同じです。

 

 

だからこそ、今この瞬間も、ネパールやチベット、隣接する国では多くの悲しみに溢れていることを忘れないでいようと思います。

 

 

そして、こうして安全な町まで来れて、

生かされていること、

大切な家族や友人がいること、

帰る場所があること、

旅が続けられること、

すべてに感謝しなければならないと改めて思う出来事でした。

 

 

地震によって、被害に合われた多くの方のご冥福をお祈りします。

そして、一刻も早い復興をお祈りします。

 

参考までに、

ネパール地震救援金

日本赤十字社:http://www.jrc.or.jp/contribute/help/2015_1/

 

 

 

 

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COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 5 )
  • Trackbacks ( 0 )
  1. by ボク旅

    成都でお会いして、チベット〜ネパールに向かうのも知っていたので、すごく心配してました。まずはお二人がご無事で本当にホッとしました。

    • by keiki

      ボク旅さん
      ありがとうございます。
      本当にギリギリのところでした。1日も早く復興してほしいですね…
      お互い引き続き安全に旅を続けましょう!

  2. by コタキナバルの空港で会った人です

    ケイキ君

    ホントに無事で良かった。
    いつもブログみせてもらってて次はネパールだろーなと思ってたから。

    • by keiki

      ありがとうございます。
      本当にギリギリの所でした…
      引き続き安全第一で旅を続けます。

  3. by 村本

    8月8日に
    ネパール復興支援のライブをやります。フライヤーに写真を使わせていただきます。

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