余白を持つ勇気

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余白を持つ勇気

祖母が亡くなった。

95歳でした。

 

祖母に最後に会ったのは今年の夏の終わりのことで、『あ。お墓参りに行こう』と急に思い立って栃木県にある父の実家を訪れました。

これまでの人生で『墓参りに行こう』と、思い立つことは多くはなかったのだけど…

父の実家の近くの施設にいた祖母は元気で、いつも通りのやりとりをかわしました。

それから約3ヶ月。思いがけない知らせでした。

あの時、急に思い立って祖母に会いに行ってよかった。その時の思いつきの行動に感謝しています。

 

今年は大切な人を何人も亡くしました。予想していた人もいたし、予想できなかった人も。

生まれてから30年が過ぎて、気づけば周りには抱えきれないぐらいに大切なモノばかり。

年齢を重ねれば重ねるほど、失うことが増えていくのかもしれません。

「失うことにどう向き合うか」

僕らのこれからの人生で、大きな課題になるテーマだと思っています。

 

失うことへ向き合う数少ない対抗策として、「余白を持つ」ことが有効だと感じています。

このところ落ち着かない日が続いて、部屋が掃除できなかったり、うっかり車にキズをつけてしまったり、いつもなら起きないミスが起きていました。こんな時は、決まって日々の生活に余白がないものです。

「祖母に会いに行こう」や「スパイスからカレーを作ってみよう」とかの脈絡のない事は、余白がある時にふっと思い立つことだったりします。

で、そんなふっと思い立ったことから思いがけない気づきをもらえたりするのです。

余裕がない時に更に一生懸命取り組むことも大切だけど、そんなときこそ余白を作ってみる。

今年の夏に思い立って祖母に会いに行ったように、どんなときだって余白を持つ。

それが僕らが生きていく上での支えになると思っています。

 

余白を持てる人は魅力的に見えます。

それは「頑張っている」「頑張っていない」とは別軸の問題で、本人が余白を持とうと決めているか否か。

 

余白を持つ勇気は、人だけではなく地域にも同じことが言えます。

僕たち夫婦が東京という場所に魅力を感じなくなったのも、僕らの目線では東京に余白が見当たらなかったから。

 

余白と持つことで人生の納得感を高める。

仕事、お金、家族、友人…大切にしているモノにはそれぞれ優先順位があるけれど、余白を持つことで違う軸での納得感が発見できると思います。

95歳で亡くなった祖母はいつも笑っていた。きっと自分の余白を持っていたのだと思います。

「最近いそがしくて…」

そんなときこそ余白を持ってみよう、そう思います。

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keiki
Keiki Ishikawa,1987年生まれ。東京生まれ東京育ちの東京っ子。テンションの振れ幅が広いが、基本的にローテンションなことが多く、一週間ほど家にこもっても苦にならない精神力を持っている。大学卒業後、地方銀行に勤務。妻と出会い退職・世界一周を決意。500日間の世界一周を経て現在に至る。