自分のことはよくわからないのに他人のことはよくわかる問題に対する考察

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自分のことはよくわからないのに他人のことはよくわかる問題に対する考察

このところ経験したことないことに向き会う機会が多く余裕がないのですが、充実した日々を過ごしています。

そんな今、ぶつかっている課題について書きます。

自分ことはわかならいのに他人のことはよくわかる

「そんなボール球に手を出すな!」

と父が野球中継をみながら怒鳴っている姿がいまでも鮮明に脳裏に浮かびます。
野球はおろかほぼスポーツをしたことがない父は、バッティングセンターに行って80kmのボールも打ち返すのも苦労するだろうと思いますけど…

父よ、例に出して申し訳ない。伝えたかったのは、誰もが持っている自分を客観視できない本質についてです。

つまり人間は「他人のことはわかるけど、自分のことはよくわからない問題」ということです。

理論より感情がつよい

人間とは総じて自分のことを客観的に見ることが苦手で他人のことは客観的に見えるの生き物だと思うのです。ほら、ダイエット中でも目の前にチョコレートがあると、どうしても食べたくなってしますやつです。

僕はその典型で、利害関係のない方へのアドバイスはスルスルーっとできるのですが、自分事になると悩みます。

自分の感情をコントロールするのって難しくて…大人(あいまい)になったら簡単にできると思っていたのですが、どうやらそういう訳にはいかないみたいです。

たぶん他人のことは人間っぽい感情を排除して考えられるから、シンプルに現在位置と目的地までのルートを把握できるのだと。

一転、自分のことになると細かな感情(大変だ、そんなに甘くない、家族や周りの人にどう思われるか、本当にそうかな、失敗したらどうしよう、なんかヤダ…等)のせいで、現在位置と目的地の設定が甘くなってしまうため、ルートの把握が難しくなります。

で、あいまいな自分カーナビ(と例えます)を放置すると、いつまでも目的地に到着できない…なんてことがおこってしまします。

なので自分を他人と同じように客観的に取り扱うことができれば、ある程度のことは実現できると思います。やりたいことが決まっていれば、やるべきことってほぼわかりますよね。本気で調べればある程度の情報はすぐ手に入る時代ですから。

おわりに

自分の人間らしい感情を優先する生き方も魅力的だと信じていた時期がありましたが、今は自分の感情を切り離して合理的に判断するタイミングなのかな……と。(そもそも合理的な思考ができているかについては疑問があるけど)

とにかく迷ったときは、すぐにリセットできる人生ゲームぐらいシンプルに判断できるようになりたいものです。エモーショナルなエネルギーに振り回されやすい私にとって、自分を客観的に把握することは必要不可欠なんですよね。

そう、これがわたしの脱感情宣言。

とにかく自分を客観的に見る方法、自我を少しでも無くす方法などを磨いていきたいなと切に思うのです。

 

こちらもあわせてどうぞ

>自分の中心は日本の中心じゃない。むしろ僻地だ。

>「具体と抽象」を読んで人生を楽しむためのヒントに気づいた話。

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keiki
Keiki Ishikawa,1987年生まれ。東京生まれ東京育ちの東京っ子。テンションの振れ幅が広いが、基本的にローテンションなことが多く、一週間ほど家にこもっても苦にならない精神力を持っている。大学卒業後、地方銀行に勤務。妻と出会い退職・世界一周を決意。500日間の世界一周を経て現在に至る。