「人を手段化しない」そんなカフェのお話です。【ゆっくり、いそげ〜カフェから始める人を手段化しない経済〜】
コーヒー1杯650円。
この値段を聞いてどう思いますか?
初めて聞いた時は、「え?高いな!?」と思いました。
だってコンビニだったら100円。
チェーン店だとも400円。
しかし、
僕は1杯650円のコーヒーを飲むために、電車を乗り継いで西国分寺までやってきました。
「経済は目的ですか?手段ですか?」
そう質問をされたらなんて答えますか?
今の世界を見ていると「経済」が「目的」になっている気がするし、自分もその一翼を担ってます。
しかし、西国分寺駅にある「クルミドコーヒー」は経済を「手段」としてとらえ、「値段だけではない価値」を伝えるカフェとして営業しています。
西国分寺から徒歩3分。お店は思っていたよりも小さかったです。
テーブルには長野県東御市のくるみが置いてあり、数が少なくなると定員さんが補充しに来てくれます。
くるみは香ばしさと甘みがしっかりとしており、後引く美味しさでした。
店内は急がされることのないゆっくりとした雰囲気。
2時間ほど滞在しましたが、定員さんも笑顔が印象的で居心地が良かったです。
全部で30席ほどの店内ですが、定員さんが4人いて多いなーという印象でした。
僕が訪れたのは平日の昼間でしたが、店内はほぼ満席。
祝日は結構混んでるのかもしれませんね。
クルミド出版から出されている本も置いてあります。
この鳥!!実は伝票のかわりです。かわゆい。
テーブルや家具も温かみがある作りでした。そして店内にはイメージキャラクターにもなっているくるみ割り人形がたくさんいます。
クリスマスっぽい音楽が流れており、ヨーロッパのカフェにいるような感覚になりました。
僕がこのクルミドコーヒーを知ったきっかけは、知り合いから本の紹介をされたからです。
その本の中で印象的だった文章を引用します。
一般に不特定多数の顔の見えない参加者を想定した市場では、複雑な市場では、複雑な価値の交換は成り立ちにくい。それが「多くの人に、普遍的に認められる価値」である必要があるからだ。
結果、「お金」「金銭的価値」への収斂が進む。同じモノなら安ければ安いほどいいという具合だ。
ところがこれが、「私」と「あなた」のような顔の見える関係となれば必ずしもそうではなくなってくる。他の人が何と言おうと、それが世の中一般に受け入れている価値ではなかったとしても、「私」がそこに価値を認めるのであれば、「あなた」との間で交換が成り立つ。
世の中の働き方の選択肢は、ともすると「お金にはなるけれど、やりたいことではない(自分の主体性は発揮できない)」と「やりたいことだけれど(自分の主体性は発揮できるけれど)、お金にはならない」の究極の二択に見えてしまいがちだ。
でも、働き方にも、それらの間の選択肢があってもいい。
本書でのここまでの議論は、世の中で大事なのはお金/金銭的な価値だけではないはずで、GDPの大きさではもはや社会の豊かさは測れない、というのが論旨だった。さらには金銭的な価値の追求に収斂してしまった経済/ビジネスのありようが人間を手段化し、時間を手段化し、結果生きづらさを生み、人間の可能性が再現する機会すら奪ってきてしまっているのではないかと考えてきた。
まとめ
「カフェ」や「場を作る」という言葉に惹かれる人は多いと思います。
しかし、理想を実現させるためには、経時的な困難がたくさんあります。
この本にはそれを実現させるためのヒントがたくさんうまっていました。
クルミドコーヒーが挑戦している姿を確認してから自分の挑戦をしても遅くはありません。
「カフェ」を営業する裏側でここまで考えている人の存在を知り、自分の考えの薄さに気付かされます。
もっとそのレベルに近づきたい…と。
この本を読んで、是非一度「クルミドコーヒー」に実際に行って欲しいと思いました。
経済という大きな波にむかって進むクルミドコーヒーを今後も追いかけ続けたいと思います。
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