なぜ、人は恥ずかしいという感情を抱くのか。
恥。
この言葉を聞いてどんなことを思い出しますか?
僕は今でもあの光景を鮮明に思い出せます。
インドのプシュカルで起きた
『バックドラフト事件』
インド人にもらったほのかに石油の匂いのするケーキを食べて後に徐々に腹が痛くなる。
当然最初はズボン&パンツを脱いだり履いたりしながら用を足していました。
が。
腹痛がK点を超えたあたりからズボン&パンツの脱着が困難に。
おまけに吐き気まで襲ってくる始末です。
用を足したり嘔吐をしたりを繰り返す。
嗅ぎたくない匂いを嗅ぐシナジー効果も手伝ってスパーク。
最終的に朦朧とする意識のなかTシャツ1枚(ノーパン&ノーズボン)でトイレに倒れ込みました。
(やば…い…)
ドラマでしか聞いたことのないような声で、
「た…すけ……て…」
と眠りについている妻に助けを求めた事件ですね。
さて。今日は「恥ずかしい」について書こうと思います。
最近、いくつか自分が学びたいと感じることのワークショップに参加してるのですが、
こういった講義や勉強会に参加すると、こんなことが・・・
○○ですよねーーー!
(ん?何のことだ?)
周りの様子を確認…
(え。知らないの俺だけ?)
(やべーわかんないけどわかってる風に頷いておこーっと…)←これ。
はい。知ったかぶりってやつです。
全員知っているけど自分だけ知らないことが多々あります。
こんなこと聞いたら恥ずかしいなー
年上だしなー
空気読まなきゃなー
とか。
そんな時ないですか?
僕こんなん結構あるんすよ。
それぞれの言葉の裏側には・・・
自分が無知と思われたくない
年上なんだから知っていないとまずい
ちゃんとしてるやつだと思われたい
っていう気持ちがあります。
要するに見栄ですね。
でも最近思ったのです。
この気持ちが成長を抑えているのではないか
と。今までやったことないんだから無知だし、人間の知識とか能力に関しては年齢なんて意味ないし、そもそも既に僕はちゃんとしてないし。
全体的に無駄な心配してるんです。
知らないことを隠してわかったふりしても得るものなんてひとつもないんです。(その場の空気を保てる点はいいことかも?)
どうやら僕は自分を他人の目から守りたくて仕方ないらしいです。
しかし、僕には守るもの何にもないのです。(お陰様で妻は一人で生きていけそうです)
だからどんどん手を上げて、意見して、失敗して恥をかこうと思います。
自分の意見を言葉にしたいと思います。
「若いうちに恥をかけ!」
とかよく聞く言葉ですね。
でも実際のところどうよ。なかなかそんな機会ないよね。
恥ずかしながら今年の夏に人生で初めてパワポで資料作りしました。
その他にも人前でプレゼンしたり、文章書いたりも最近始めたことです。
「やだなー」とか「だるいなー」とか思うのですが、やったことで失ったものは特に思い当たりません。
得るものばかりです。
その経験が前向きにやってみるエネルギーになっています。
僕にリアルに会う方。
僕が守りに入っていたらすぐに突っ込んでください。
ちなみに僕は冒頭に書いたバックドラフト事件をきっかけに妻との距離がぐーんと近づきました。
もしかしたらそう思っているのは僕だけかもしれないですが。
もはや、
妻に対して恥ずかしい気持ちなんて微塵もありません。
きっと日常生活にもこのバックドラフト事件の法則が応用できると思っています。
効果が心配な方は、ご家族の前でTシャツ一枚でトイレに倒れて助けを呼んでみてください。
距離が近づくか、もう取り戻せない距離に行ってしまうか…
是非一度お試しください。
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