好機はいつも何かを探している人の心の味方です。
「はぁーーーーー」
深いため息が狭い部屋をさらに圧迫感のある空間に変えていく。
ここのところ毎日同じことの繰り返しだ。
悩んでは戻り。
戻っては悩み。
結局前に進んでいるのかいないのかわからない。
自分が正しい方向に進んでいるのか。
間違った方向に進んでいるのか。
自分の立ち位置すらわからなくなってきている。
「会社にいる時はまるでイワシだったな…」
と、周りにたくさんの仲間がいたことをふと思い出して懐かしい気持ちになる。
あんなに熱かったコーヒーが冷めている。
もうお昼だ。
そんな時最近お世話になっている人から紹介された本に目を通す。
いつも同じ道ばかり歩いていれば、自分がどこにいるか迷うことはない代わりに自分を見失ってしまう。
同じことを同じようにやってばかりいては、いつも同じ結果しか得られない。職場では同じことを同じようにやってカビの生えたような結果を出し続けるという罠に落ちてしまいがちだ。
何かを変えればいいことがある。机の向きを変えるとか、コピー機を移動してみるとかでも構わない。成長は痛みを伴う。変化も痛みを伴う。しかしそれも間違った場所にい続けることの苦痛には敵わない。
何かを同じようにやる回数が多ければ多いほど、やり方を変えるのが難しくなってしまう。
そっか。
やるべきことがあるのをいいことに新しいことをやってみる機会を作ろうとしていなかったな。
と、誰からも求められることのない反省をしてみる。
次に開いたページには、
私たちは考えることで答えが得られると思いがちだ。問題があれば、考えて抜け道を見つけ出そうとする。あるいは迂回する方法を考える。答えが欲しければシンクタンクに頼るし、ブレインストーミングをして頭を絞る。
私たちの文化は考えることを強調するあまり、感じることを忘れてしまう。思考は罠にもなる。
私たちの考え方や知識は大抵の場合文化そのものから、学校からそして親から借りてきたものにすぎない。
確かに何をどうやって考えるかは教わったが、クリエイティブな人に聞けば思考だけでは限られたところにしか行けないと教えてくれるだろう。
考えるというのは本質的ではあるが、考えすぎるとそれ以外の感覚が犠牲になるのである。
「あ。考えていることに満足してるだけなのかもな。」
と。
見えていない敵と戦う準備をしている自分に気づく。
「そう言えば今日は嫌に寒いな。散歩でも行くか。」
と
じんわり湿った尻を持ち上げて散歩に出かけるのであった。
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