「おもしろことがしたい」が口癖だった自分に伝えたいこと。
「おもしろいことがしたい!」
僕が旅をしているときからずーっと言ってたセリフ。
この言葉、今考えるとかなり恥ずかしい言葉だと思っています。
今日は「おもしろいことしたい病」を説明します。
「おもしろいことをしたい」って…
「おもしろいことをしたい」と言い続けることは、「簡単に楽しみたい」と言っているのと同じだと思います。
そもそもですが、「おもしろいことしたい」なんて当たり前の話です。
つまらないことをしたい人は少ないですよね。
そんな中で、面白いことをやろうとする人と、諦める人がでる。
それぞれの判断はどちらも尊重すべきだと思います。
考え方や、抱えている現実、それぞれの理由がありますので。
そして、おもしろい状態は、いくつか壁を乗り越えて到達する場合が多いと思います。
ただ、辿り着いたときには当初思い描いていた「おもしろい」の次のステップを見ている人が多いはず。
一度「おもしろいことをやろう」の流れに乗った人は、ずっとおもしろいことを追いかけられると思います。
「おもしろいことをしたい病」の問題は?
で、問題なのは僕みたいに「おもしろいことをしたい」とずーっと言い続けている人。
この状態はつまり、「なにかいいことないかな…どうしよう…」と考え、悩んでいる状態。
考えている状態って心地良いです。さらに、ゆっくり「悩める」ってことは、安全で快適な環境にいる可能性も高いわけで…
当然ですが、考えているだけなので周りの人や社会から評価や判断されることもないので安全です。
考えている間に、「おもしろいことをしたい病」に感染している人が多いです。(いや僕ね。)
感染している期間が長いほど、「立派なことしなきゃ!」って一歩が踏み出しにくいおまけ付きですよ。
たちが悪いのは、感染時に入ってくる情報って内容が薄くなりがちで(情報の入り口が広すぎるから)、結果的に薄っぺらい評論家みたいになったり、
出会う人も同じタイプの人(おもしろいことを探している)が多いので「おもしろそうなことあったら教えてくださいねー」とか謎の関係になったりします。
周りの人からは、「で、あいつは何やってるの?」みたいな感じにもなりますし。
本当にトホホな感じになってしまいます。
おもしろいことしたい病から抜け出す方法
で、自分でこの沼を抜け出して気づいたことがあるんです。
具体的に「これやろう」と決まった瞬間に、入ってくる情報も、出会う人もぐーっと濃度が高くなる。
「おもしろいことやりたい・・・」から、「おもしろくできそう!!!」に変化します。
主体が一気に自分になります。
やりたいことを最初からバチっと決めるのは難しいです。
なので、どんなこと(例えば料理・農業・旅とか)、どこでやる(都心・田舎とか)など、やりたいことの軸から決めるとイイかもしれません。
僕の場合は最初に
①「景色がいい長野に住むぞー」
②「だったらいい感じの古民家に住みたいぞー」
③「農家の人が販路拡大したいから農産物売るぞー」
みたいな感じで、一つ目のパズルのピースが埋まって、そこからは「どどっ」と話が進みました。
行動力が無くて…という人のほとんどは行動力ではなくて決断力が無い。やるかやらないかの判断に時間をバカみたいに割くくせに、やらない、と決めてからやっぱりやったほうがいいかも、とまた思い悩む。やらない、と決めたらニ度とそのことを考えないようにしたらだいぶ楽になるはず。
— はあちゅう (@ha_chu) 2017年7月11日
おわりに
1歩進まないから決まらないし、1個決めないから進みません。
そして最初の「おもしろいこと」が実現できたら、次の「おもしろいことが」出てくるんですよね。
情報がありふれている世の中では「探す」より「選ぶ」ことが大切です。
そんなことを思いました。
はあちゅうさんの記事もすごく納得でした。興味がある方は一読して下さい。
参照:「面白いことがしたい」人は本気で面白いことがしたいのだろうか?
それではまたー。