これからの暮らしは、共同体になるんですかね?って話を聞いてきました!
テクノロジーが進化を続けると、最後に残るのは人間ということだけである。
そういう状況だから人とのつながりが大切になってくる時代がやってきます。
これは先日、佐々木俊尚さんとYADOKARIの 「これからの共同体の作り方」というイベントで印象的だった言葉です。
「そして、暮らしは共同体になる。」という本を知っていますか?
こらからの生活はミニマル化していく。
体にいい食事ってミシュラン3つ星でもなければコンビニ弁当でもないし、オーガニック原理主義でもない。その中間が体に良い食事です。
現代は人と会う時は見栄えをよくします。
しかしFacebookを見ればその人の中身がバレてしまします。最終的には見た目ではなく、生身の人間の付き合いが大切に変わってくる。
意識はしていなかったけどその通りだな・・・。
さて、これから私たちが目指す社会はどこにあるのでしょう。
「上へ、上へ」
という消費社会から、それに対抗すべく生まれた
「外へ、外へ」
というカウンターカルチャー。そしてそれらに代わって現れた
「横へ、横へ」
進むのが佐々木さん述べている”これからの共同体”です。
僕は消費社会にも、カウンターカルチャー(ヒッピー的な)にも疑問を感じていて、
じゃあどこを目指して進んで行けばいいの?
という疑問が常に頭の中をぐるぐるしていました。
この「横に横に」広がっていくという新しい共同体の考え方は「確かに」と納得させられました。
カウンターカルチャーに影響を受けている人(本文中では反逆クールと呼ばれている)について、
「俺はおまえらと違って、体制に騙されたりしない。愚かな歯車ではない。」そこにはエリート(選良)意識のようなものが見え隠れしている。
と表現しています。つまり、ベジータってことです。
カウンターカルチャーっぽい人からは、「俺選ばれている感」をヒシヒシ感じちゃうんですよね。
また、本文中で印象的だったのは、
どうしても間に合わない時は、できあいのもになってしまいます。デパ地下のお惣菜は値段が高いし、味が濃くて決して健康的ではないし、できればあまり利用はしたくない。コンビニやスーパーのお弁当ならもっと安く購入できるけど、それを子供に食べさせることは、やはり「罪悪感」がすごいのですよ…
という一文。
この悪いことをしていないのに感じる”罪悪感”こそ生き苦しさの正体なのかもしれません。
便利すぎる世の中で、悪いことをしているわけじゃないけどなぜか罪悪感がある。
生まれてきたことへの原罪でしょうか。
丁寧な暮らしをすることで罪滅ぼしをしているのかもしれません。
昔は生まれた村が拠り所に、
今は会社が拠り所に、
そして次に現れるのが「共同体」が拠り所になる。
だからこそ、やがて「暮らしは共同体になる」と佐々木さんは言っています。
一方で、私たちは村や会社で居心地の悪さを知っています。
だからこそこれからの「共同体」は、「ゆるゆる」とした関係性を持つものになっていく。
この「ゆるゆる」とは、出入りが自由で外に開かれているということ。閉じられておらず外と緩やかに繋がっている状態のことをそう呼んでいます。
例えば、タイニーハウス、ミニマリスト、コレクティブハウス、かもめ食堂などを、ここでは「ゆるゆる」と呼んでいます。
これは、先日書いたミニマリストについての記事です。
今日は、旅に出発してからちょうど2年!旅をしていた時からぼんやりと考えていたことは、 https://t.co/WppmZkAb37 pic.twitter.com/U1urWqt6em
— keiki (@cake2525) 2017年1月20日
この本は、自分が漠然とイメージしているモヤモヤを言語化してくれていました。
(考えていることを言語化できる能力をもうちょっと身につけたい・・・)
会社に頼れなくなっていく今だからこそ、暮らしの健全性や丁寧な暮らし、そして共同体を拠り所にしていくのです。
これからの暮らしを見つめ直したい人に、ぜひ読んでほしい本です。
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